コンテンツは「時間の節約」?!人々が記事を欲する理由とは

そもそも、なぜコンテンツが必要なのでしょうか。コンテンツを発信することの意義とは何でしょうか。
「SEOに有効だから」では答えになっていません。検索エンジンを使うのは人ですし、コンテンツを読むのも人です。人が必要としていなければコンテンツなど世の中にないはずです。

 

「私たちは巨人の肩の上に乗る小人のようなもの」という言葉

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コンテンツが人にとってなぜ必要か、それは「他の人の人生をも生きるため」と考えています。換言すると「時間を短縮するため」ともいえます。
一人の人間が生きられる時間は限られています。多くの人が70~80年ほどしか生きることができません。しかし、私たちはコンテンツを共有することによって、自分ひとりなら70~80年ほどしかなかった時間が何倍にもなります。

例えば目玉焼きの作り方。誰でも簡単に作れる定番料理ですが、もっとおいしく作りたいと思ったらあなたはどうしますか?
自分ひとりで目玉焼きを何個も作って研究することもできるでしょう。しかしまずは、他の人がどうやって目玉焼きを作っているか調べるのではないでしょうか。
目玉焼きのおいしい作り方に限らず、何かを「知りたい」と思った人は、あなたが初めてではないでしょう。そしてあなたより詳しい人が既にコンテンツとしてまとめてくれていたら、「こうやったらうまくいった」「こうやったら失敗した」という情報を教えてくれたら、あなたは他の人と同じ失敗を繰り返すことなく、よりスムーズに目的を達成することができます。また、より洗練された方法をあなたは見つけることができるかもしれません。そこに素早くたどり着くことができるのも、先人がそこまでの経験を教えてくれたからといえます。

フランスの哲学者、シャルトルのベルナルドゥスはこのように言ったと伝えられています。「私たちは巨人の肩の上に乗る小人のようなものだ」と。 知恵を、経験を、情報を、共有する。それによって時間を節約して、より有意義に時間を使い、自分は自分の価値を社会に提供する。そのようにして文明は発展していくのだと思います。

 

僕らは生まれながらのフィロソファー

On the shoulders of giants...
また、人は今すぐ必要だからという理由だけでコンテンツを求めるわけではありません。自分の人生と直接関係のないことであっても「知りたい」と思ってコンテンツに触れたり、有用であるか否かではなく単純に「面白い」と思ってコンテンツを見たり読んだりするものです。
例えば世界の秘境を写真やテレビで見たり、有名人のインタビュー記事からその人の考え方を知ったり。また、小説やドラマ、映画といったフィクションもまた、今すぐ必要だから読んだり見たりする類のものでもありません。それでも日本には古くから数多くの物語が生まれていますし、フィクションに全く触れない人生というのも味気ないものでしょう。そう考えると人は潜在的に、自分ひとりではなくさまざまな人生を垣間見たい、自分の知らないさまざまな世界を知りたいという欲求を持っているのではと思います。
いろいろな人の価値観に触れることも、いろいろな世界を見聞きすることも、コンテンツがあることで疑似体験できます。その人に直接合わなくても、その場に自分が行かなくても、コンテンツがあれば間接的ながらもその世界を知ることができます。
哲学とはギリシャ語で「philosophia」ですが、これはもともと「知を愛する」という意味です。僕らは生まれながら哲学者(フィロソファー)なのです。

Happiness is...look up the sky and imagine the clouds...

このようにして考えると、我々がコンテンツを提供する、世に発信していくことの意義がより分かりやすくなります。
各人が勉強したり、仕事したり、研究したり経験したりと、生きている中で得られる知恵があります。その知恵の中に、他の人にとって役立つこと、問題を解決すること、興味深いことが含まれているとしたら、発信することで助かる人、人生が豊かになる人がいるということになります。それを発信して他の人の助けになること、人生を節約してあげること、それがコンテンツを発信することの意義といえます。

商売をする側としては、つい「SEOの効果を上げたい」「アクセスを集めたい」「コンバージョンを得たい」といった視点から「コンテンツが大事だ」という議論に陥りがちです。しかし順番としては逆で、「お互いに自分の知っていることや経験していることを共有したら喜ばれるし、結果的にアクセスも集まるしGoogleからも評価される」ということだと考えています。

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